出会いには、いろいろな形がある。
恋人になる出会いもあれば、一度会っただけで終わる出会いもある。何度か食事をして自然に連絡を取らなくなることもある。
そして私の場合、恋人とは少し違うけれど、会えばキスをする「キスフレ」と呼びたくなるような関係になったこともあった。
若いころなら、こういう時間を楽しむのは当たり前だと思っていたかもしれない。
でも年齢を重ねてから感じるのは、
「人と触れ合って幸せだと思えることに、年齢はあまり関係ない」
ということだ。
いくつになっても、好きだと思える相手と過ごす時間はうれしい。
キスをしている時間もそうだった。
今回は、そんなキスフレとの時間について、自分の記憶として残しておきたい。
※この記事は個人的な体験と感想を振り返った記録です。親密な関係では、年齢や関係性にかかわらず、お互いの意思と同意を尊重することが前提です。
恋人ではない。でも普通の友達でもない
「キスフレ」という言葉を使っているが、私の中でも明確な定義があるわけではない。
恋人なのかと言われれば、少し違う。
普通の友達なのかと言われても、それも違う。
会って話す。
一緒に時間を過ごす。
そして、お互いにそうしたいと思ったときにはキスをする。
そんな関係だった。
普通の友達より距離は近い。
しかし恋人のように将来を約束しているわけではない。
この中間のような距離感が、不思議だった。
人間関係は「友達」「恋人」「夫婦」のように、すべてきれいに分類できるものではないのだと思う。
キスをしていると時間を忘れる
キスフレとの時間で印象に残っているのは、時間の感覚が変わることだった。
キスをする。
少し離れて話す。
また近づく。
そんなことを繰り返していると、かなり時間がたっていることがある。
以前にも書いたが、体感として1時間くらい長くキスをしていたように感じることもあった。
もちろん、時計で正確に計測していたわけではない。
重要なのは「何分だったか」ではない。
それくらい時間を気にしなくなったということだ。
普段の生活では時間ばかり気にする。
仕事は何時から。
電車は何時。
明日は何時に起きる。
あと何分。
そんな生活をしている。
ところが、好きな相手と近くにいると、その時間だけ時計の存在が薄くなる。
これは結構、幸せなことだった。
いくつになってもドキドキする
年齢を重ねれば、人は何でも冷静になる。
昔はそんなイメージを持っていた。
しかし実際には、そうでもない。
いくつになっても、人を意識することはある。
会えるとうれしい。
近くにいると緊張する。
キスをすればドキドキする。
別れたあとに思い出す。
こういう感覚は、若者だけのものではないのだと思う。
もちろん、若いころとまったく同じではない。
人生経験が増えれば、考えることも増える。
仕事もある。
生活もある。
過去の恋愛経験もある。
だからこそ逆に、誰かと過ごす穏やかな時間の価値が分かるようになる部分もある。
「幸せ」は大きな出来事だけではなかった
幸せという言葉を聞くと、大きなものを想像してしまうことがある。
結婚する。
家を買う。
仕事で成功する。
大金を稼ぐ。
夢を実現する。
もちろん、それらも幸せにつながるかもしれない。
でも実際の生活では、もっと小さな瞬間に幸せを感じる。
好きなものを食べる。
ゆっくり眠る。
誰かと笑う。
そして、好きな人と触れ合う。
キスフレとの時間を思い出すと、私はそう感じる。
社会的には何かを達成したわけではない。
お金が増えたわけでもない。
肩書が変わったわけでもない。
それでも、
「今日はいい時間だったな」
と思って帰れる。
それだけで、その日は少し特別になる。
ハッピーメールで知り合っても最後は人と人
出会い系サービスでは、最初はプロフィールとメッセージから始まる。
年齢。
住んでいる地域。
趣味。
写真。
自己紹介。
そうした情報を見ながら相手を知っていく。
でも実際に会えば、画面の情報だけでは分からなかったことが見えてくる。
話し方。
声。
笑い方。
沈黙したときの雰囲気。
一緒にいて落ち着くかどうか。
距離感。
そういうものはプロフィールだけでは分からない。
だから私は、ハッピーメールでの出会いについて書くとき、単純な「攻略」だけでは説明できないと思っている。
最終的には、人と人だからだ。
キスできたから成功、ではない
ここは大切にしておきたい。
出会い系を利用していると、「会えた」「キスできた」といった結果だけで成功か失敗かを判断したくなることがある。
でも、今振り返ると少し違う。
キスそのものが目的になってしまったら、相手との時間を楽しむという大事な部分を見失う。
相手が嫌ならしない。
こちらが気乗りしなければしない。
昨日はしたとしても、今日もしたいとは限らない。
その瞬間のお互いの気持ちが大切だ。
キスフレという関係であっても、それは変わらない。
むしろ関係が曖昧だからこそ、相手の気持ちを決めつけないことが重要なのだと思う。
恋人にならなくても大切な思い出は残る
恋愛というと、
付き合った。
結婚した。
別れた。
という結果で振り返りがちだ。
しかし、人生の中で記憶に残る人が全員恋人だったとは限らない。
付き合わなかったけれど忘れない人もいる。
短期間しか会わなかったのに、なぜか何年も覚えている人もいる。
私にとってキスフレとの時間も、その一つなのかもしれない。
恋人という肩書がなかったから、価値がなかったわけではない。
その時間に自分が幸せだった。
それは事実として残る。
年齢を理由に諦める必要はないと思った
若いころは、
「50代になった自分」
なんて想像できなかった。
もっと落ち着いていて、恋愛や異性に対しても淡々としていると思っていたかもしれない。
でも人間は、年齢だけで突然別の生き物になるわけではない。
人を好きになる気持ちもある。
誰かに会いたいと思うこともある。
触れ合いたいと思うこともある。
もちろん、年齢を重ねれば相手への配慮はより重要になる。
無理をしない。
無理をさせない。
相手の生活も尊重する。
そして、お互いが心地よいと思える範囲を大切にする。
そういう大人な距離感があってこそ、幸せな時間になるのだと思う。
一人の時間があるからこそ分かる
私は一人で過ごす時間についてもよく考える。
一人で食事する。
一人で歩く。
一人で考える。
一人の時間には、一人の良さがある。
誰にも合わせなくていい。
好きなことができる。
静かに過ごせる。
でも、ずっと一人でいるからこそ、誰かと過ごす時間の温かさが強く感じられることもある。
一人と二人。
どちらかだけが正解ではない。
一人の時間を楽しみながら、ときどき誰かと近い時間を過ごす。
私にとっては、そのバランスも悪くない。
キスフレにはまる理由
なぜキスフレという関係にはまるのか。
自分なりに考えると、単純にキスが好きだからという理由だけではないと思う。
相手との距離が一気に縮まる。
安心する。
必要とされているように感じる。
日常から少し離れられる。
そして、次に会えるか分からない曖昧さもある。
いろいろな感情が混ざる。
だから記憶に強く残るのだろう。
ただし、曖昧さは楽しさだけではない。
どちらか一方が恋人になりたいと思い始めれば、関係は変わる。
だから、自分の気持ちにも相手の気持ちにも、ときどき向き合う必要がある。
幸せな時間だった。それでいい
過去の出会いについて、
「あの関係には何の意味があったのだろう」
と考えることがある。
でも、すべての出会いに大きな意味を求めなくてもいいのかもしれない。
そのとき楽しかった。
幸せだった。
また会いたいと思った。
別れたあと少し寂しかった。
それも一つの人生の記録だ。
キスフレはいくつになっても最高だ、と私は思った。
ただ、それは「キスできれば最高」という意味ではない。
お互いが望んでいて、安心して近くにいられる相手と過ごす時間が最高だったということだ。
若いころだけに許された時間ではない。
何歳になっても、人は誰かとの時間に幸せを感じられる。
そして、その幸せは大げさなものでなくていい。
誰かの隣にいる。
話す。
笑う。
少し沈黙する。
そして、お互いがそうしたいと思ったときにキスをする。
そんな何気ない時間が、あとになって思い出す大切な時間になる。
私にとってキスフレとの時間は、まさにそうだった。
人生にはいろいろな出会いがある。
すべてが恋人になる必要はない。
すべてが永遠に続く必要もない。
その瞬間に二人が幸せだったなら、それも一つの幸せの形だった。
いくつになっても、そんな時間を大切にできる自分でいたい。
これもまた、私のハッピーメール記録帖に残しておきたい思い出の一つである。


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