ハッピーメールを長く利用していると、本当にいろいろな女性と出会う。
年齢も違う。
仕事も違う。
住んでいる場所も違う。
性格も違えば、恋愛に対する考え方も違う。
そして、何度か会って親しくなってから初めて知る、その人なりの背景もある。
私の経験の中で意外と印象に残っているのが、創価学会との関わりについて話す女性が何人かいたことだった。
最初からプロフィールに書いてあるわけではない。
メッセージの段階でも分からない。
普通に知り合って、普通に会う。
ところが関係が続いていくと、会話の中から少しずつ信仰について分かってくることがあった。
私には、それがまるで「見え隠れしている」ように感じられた。
ただし、最初に明確にしておきたい。
これはあくまで私個人のハッピーメール利用体験だ。
ハッピーメール利用者全体に創価学会の女性が多いという統計を示すものではないし、特定の宗教やその信仰を持つ人を評価する記事でもない。
長く利用した一人のユーザーとして、「こんな出会いもあった」という記録である。
最初はまったく分からなかった
ハッピーメールで女性と知り合うと、最初はプロフィールを見る。
年齢。
地域。
趣味。
自己紹介。
そしてメッセージを送る。
返事が来れば、少しずつ会話を続ける。
私が出会った女性たちも、基本的にはそんな普通の流れだった。
「今日は仕事だった」
「休みは何をしているの?」
「今度ご飯でも行こうか」
そんな話から始まる。
この時点で信仰について考えることなど、ほとんどなかった。
実際に会っても最初は普通だった
そして実際に会う。
待ち合わせをする。
食事へ行く。
ドライブをする。
いろいろな話をする。
信仰があるからといって、会った瞬間に何か特別な違いが分かるわけではない。
当然だと思う。
信仰は外見から判断できるものではない。
だから最初は、一人の女性として普通に接していた。
むしろ、何度も会うようになってから分かったケースのほうが私には印象に残っている。
距離が縮まると話題も深くなった
一度会っただけなら、そこまで深い話はしない。
しかし二回、三回と会う。
食事だけではなく、長い時間一緒に過ごす。
すると会話も変わってくる。
仕事の話だけではなくなる。
家族。
過去。
恋愛。
将来。
自分が大切にしているもの。
そういう話が少しずつ出てくる。
その延長線上で、信仰について話してくれる女性もいた。
「そうだったんだ」
私としては、そんな感覚だった。
一人だけなら気にしなかったと思う
もし一人だけだったら、それほど強く記憶には残らなかったかもしれない。
しかしハッピーメールを長く利用し、さまざまな女性と接していると、別の女性からも創価学会について聞くことがあった。
そこで私は、
「意外といるんだな」
と思うようになった。
私自身の体験の範囲では、何度か同じ名称を耳にした。
そのため、当時の感覚をそのまま表現するなら、
「かなり見え隠れしていた」
という言葉になる。
ただし、これは体感であって統計ではない。
ここは重要だ。
「かなりいた」と「利用者に多い」は違う
個人の体験談を書くときに気をつけたいのは、自分の経験を全体へ広げないことだと思う。
私自身が何人かと出会った。
これは私の経験として書ける。
しかし、
「だからハッピーメールには創価学会の女性が多い」
と断定することはできない。
利用者全体を調査したわけではないからだ。
たまたま私が知り合った女性の中に複数いた可能性もある。
印象的な出来事だったから、記憶に強く残っている可能性もある。
自分が感じた「多さ」と、実際の割合は別物だと思う。
プロフィールでは分からないことが多い
この経験で改めて感じたのは、マッチングサービスのプロフィールから分かることは、その人のほんの一部だということだった。
趣味が書いてある。
好きな食べ物が書いてある。
休日の過ごし方が書いてある。
それでも、その人の人生全部が分かるわけではない。
どんな家庭で育ったのか。
何を大切にしているのか。
どんな人生を送りたいのか。
どんな信仰を持っているのか。
こうした部分は、実際に関係を作っていく中で初めて分かる。
信仰を知った後も女性自身は変わらない
私にとって興味深かったのは、信仰について聞いた前後で、目の前の女性そのものが変わるわけではなかったことだ。
昨日まで普通に笑っていた。
一緒に食事をした。
いろいろな話をした。
その女性から、
「創価学会に関わっている」
という話を聞く。
だからといって、突然別人になるわけではない。
考えてみれば当然なのだが、実際に人と接したことで強く感じた。
宗教名はその人についての情報の一つではある。
しかし、その一つだけで人間全体を説明することはできない。
同じ信仰でも恋愛観はそれぞれだった
何人かの女性と話して分かったのは、同じ創価学会という言葉が出てきても、一人一人は違うということだった。
性格が違う。
話し方も違う。
恋愛への積極性も違う。
男性との距離の取り方も違う。
だから、
「創価学会の女性なら恋愛ではこうする」
という法則のようなものを作るのは無理だと思った。
信仰を持っていることと、その人の恋愛行動を一対一で結びつけることはできない。
結局、一人一人を見るしかない。
恋愛では宗教以外にも違いがたくさんある
そもそも恋愛をしていると、宗教以外にも価値観の違いはいくらでも出てくる。
お金。
仕事。
結婚。
子ども。
家族。
休日。
食生活。
住む場所。
連絡頻度。
異性との付き合い方。
どれも関係が深くなれば重要になる。
信仰も、その中の一つなのだと思う。
重要なのは、違いがあること自体ではなく、違いが分かったときに二人でどうするのかではないだろうか。
無理に合わせる必要もない
相手の価値観を尊重することは大切だ。
ただし、尊重することと、自分も同じ考えにならなければならないことは違う。
例えば自分が望んでいない活動への参加を求められたなら、断る選択肢もある。
逆に相手にも、自分の信仰を大切にする自由がある。
恋愛だからといって、どちらかがすべてを捨てる必要はない。
お互いに許容できる範囲を確認する。
それができなければ、恋愛関係として続けるのが難しくなることもあるだろう。
「勧誘されるのでは」と決めつけない
宗教の話を聞くと、
「勧誘されるのでは?」
と警戒する人もいると思う。
実際に勧誘を受けたなら、その事実をもとに判断すればいい。
しかし、信仰を持っていると分かっただけで「この人は必ず勧誘してくる」と決めつけるのも違う。
私が長く出会い系を使って感じたのは、分からないことを属性だけで先回りして決めないほうがいいということだった。
何かあれば、その行動を見て判断する。
これは宗教に限らず、出会い系で人を見るときにも大切だと思う。
出会い系だから知った世界もあった
もしハッピーメールを利用していなければ、私は出会わなかった女性がたくさんいる。
普段の仕事だけでは接点がなかった人。
住んでいる場所が違う人。
生活環境が違う人。
そして自分とは異なる価値観や信仰を持っている人。
そういう意味では、ハッピーメールは恋愛相手を探すだけの場所ではなかった。
いろいろな人生を知る入口にもなっていた。
これは長く使ったからこそ感じることなのかもしれない。
女性を属性だけで見ないようになった
若いころなら、
「この人は○○だから」
と単純に分類していたかもしれない。
しかし実際に多くの人と接すると、そんなに簡単ではないことが分かる。
同じ年代でも違う。
同じ職業でも違う。
同じ地域に住んでいても違う。
そして同じ信仰を持っていても違う。
結局、人間は一人一人違う。
当たり前のことだが、実際に会った経験を積み重ねることで、その当たり前が実感として分かってきた。
今振り返って思うこと
当時の自分の感覚としては、
「ハッピーメールには創価学会の女性が結構見え隠れしていたな」
という印象が残っている。
しかし今、この体験を文章にするなら、少し慎重に表現したい。
正確には、
「私がハッピーメールで出会った女性の中に、創価学会との関わりについて話す人が何人かいて、それが強く印象に残った」
ということだ。
この二つは似ているようで違う。
前者はサービス全体について語っているように聞こえる。
後者は自分自身の経験について語っている。
ハッピーメール記録帖として残すなら、後者のほうが私の実体験を正確に表していると思う。
まとめ|「見え隠れしていた」というのは私自身の体感だった
ハッピーメールを長く利用している中で、私はさまざまな女性と出会った。
その中には、後になって創価学会との関わりについて話してくれた女性も何人かいた。
最初から分かったわけではない。
普通にメッセージをする。
会う。
食事をする。
何度か話す。
そして少しずつ相手の背景を知っていく。
だから私には「見え隠れしていた」という印象が残ったのだと思う。
ただ、それをハッピーメール利用者全体の特徴として一般化することはできない。
そして同じ信仰を持っている女性でも、一人一人まったく違った。
恋愛観も違う。
性格も違う。
信仰との距離感も違う。
結局、私が長い利用経験から学んだのは、人を一つの属性だけで判断することはできないということだった。
出会い系のプロフィールの向こうには、それぞれ違った人生がある。
実際に会って、話して、初めて知ることがある。
創価学会という言葉が何度か出てきたこと以上に、そんな「プロフィールには書かれていない人間の背景」に触れたことのほうが、今では印象に残っている。
それもまた、私の長いハッピーメール利用歴の中で忘れられない、ハッピーメール記録帖の一ページなのである。


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