彼女と赤城山へ行ったことがある。
今振り返ってみると、赤城山そのものの景色だけではなく、あの日は朝から少し特別な期待感があった。
「今日は、二人の関係に何か変化があるかもしれない」
そんなことを考えていた。
何か具体的な約束をしていたわけではない。
彼女から意味深なことを言われたわけでもない。
あくまで自分の中だけにあった期待だった。
それでも、好きな女性と二人で出かけるとなれば、普段とは違う一日になるかもしれないと思ってしまう。
今回は、彼女と赤城山へデートに行ったときに感じていた、そんな期待について書いてみたい。
赤城山へ二人で行くこと自体が特別だった
近所でランチをするのと、少し離れた場所へ二人で出かけるのとでは気分が違う。
赤城山は、自分にとって普通の街中のデートとは少し違う場所だった。
山へ向かって移動する。
景色が変わっていく。
街から少しずつ離れていく。
それだけでも日常から離れていく感じがする。
そして隣には好きな女性がいる。
この状況だけで、私はいつもの一日とは違うものを感じていた。
デートというのは不思議なものだ。
何をするかだけではなく、
「誰とそこへ行くのか」
によって場所の印象まで変わってくる。
一人で赤城山へ行ったとしたら、私はここまで期待していなかったと思う。
彼女と一緒だったからこそ、特別な場所のように感じた。
「何かあるかもしれない」と少し期待していた
正直に書けば、私は何かが起こるかもしれないと思っていた。
ただし、その「何か」は自分でもはっきりしていなかった。
手をつなぐのかもしれない。
いつもより近い距離で話すのかもしれない。
彼女から今まで聞いたことのない話を聞けるのかもしれない。
あるいは、二人の関係について少し踏み込んだ話になるのかもしれない。
恋愛では、こうした期待が自然に膨らむことがある。
相手が好きであればあるほど、
「今日は何か変わるかもしれない」
と考えてしまう。
今になって考えると、彼女が何かを示していたというより、私自身が期待していた部分のほうが大きかった。
山という場所が期待を大きくしたのかもしれない
赤城山という場所も影響していたと思う。
人の多い駅前や飲食店とは雰囲気が違う。
自然がある。
景色が広がっている。
日常生活から少し離れた感じがある。
そんな場所で好きな人と一緒にいると、普段よりも距離が近くなったような錯覚を覚える。
旅行でも似たことがあると思う。
普段とは違う場所へ行くと、普段なら話さないことまで話したくなる。
それまで意識していなかった相手の表情にも気づく。
赤城山で彼女と過ごしていたとき、私もそんな気分になっていた。
だからこそ、
「もしかしたら」
という期待があった。
彼女のちょっとした行動まで気になった
期待していると、相手の小さな行動まで意味があるように見えてしまう。
いつもより楽しそうに見える。
距離が少し近い気がする。
会話が途切れても、それほど気まずくない。
そんな小さなことを、自分の中で勝手に大きく受け取ってしまう。
恋愛中にはよくあることなのかもしれない。
しかし、相手の気持ちは本人にしか分からない。
笑ってくれたから好意がある。
一緒に出かけてくれたから次の段階へ進みたいと思っている。
そう単純に判断できるものでもない。
当時の私は、今より期待のほうを強く見ていた気がする。
結局、ドラマのような出来事は起こらなかった
では、赤城山で実際に何が起こったのか。
映画のような大きな出来事が起こったわけではない。
劇的に二人の関係が変わったわけでもない。
普通に一緒の時間を過ごした。
話をした。
景色を見た。
そして帰った。
書いてしまえば、それだけだ。
でも、私はそれでよかったとも思っている。
恋愛というと、何か進展しなければ意味がないように考えてしまうことがある。
しかし、本当はそうではない。
好きな人と同じ場所へ行って、同じ景色を見る。
それだけでも一つの思い出になる。
「何も起こらなかった」は失敗ではない
当時の自分には多少、
「何かあったらいいな」
という気持ちがあった。
だから何も起こらなければ、少し物足りなく感じる部分もあったかもしれない。
しかし今なら、
「何も起こらなかったから失敗」
とは思わない。
相手にも相手のペースがある。
自分にも自分のペースがある。
デートしたからといって、その日に必ず関係を進めなければいけないわけではない。
むしろ、無理に何かを起こそうとしなかったことは良かったと思う。
恋愛では、自分の期待と相手の気持ちは別物だ。
自分が期待しているからといって、相手も同じことを期待しているとは限らない。
そこは混同しないほうがいい。
今でも覚えているのは「期待していた自分」
赤城山のデートを思い出したとき、細かい会話を全部覚えているわけではない。
どこで何分過ごしたのか。
どんな順番で移動したのか。
そういう細部は少しずつ曖昧になっている。
それでも、
「何かが起こるかもしれない」
と期待していた自分の感覚は覚えている。
好きな人と出かける前の少し落ち着かない感じ。
一緒にいる間の高揚感。
そして帰るころの、
「今日はこれで終わりなんだな」
という気持ち。
そういう感情のほうが、景色以上に記憶に残ることがある。
マッチングから始まった関係でも思い出は現実になる
出会いのきっかけがマッチングサービスだったとしても、実際に会えば、その先は現実の人間関係になる。
画面の中でメッセージを交換しているだけだった相手と実際に会う。
食事をする。
一緒に移動する。
景色を見る。
笑う。
そうやって少しずつ現実の思い出が増えていく。
マッチングした人数やメッセージ数とは違い、こうした記憶は数字では表せない。
赤城山へ行ったことも、私にとってはその一つだった。
もちろん、これはあくまで私個人の恋愛体験だ。
同じサービスを使えば同じような関係になる、という話ではない。
相手への期待と現実を分けて考える
今の自分が当時の自分に一つ言うなら、
「期待するのはいいけれど、期待を相手の気持ちだと思わないほうがいい」
ということだ。
好きな人とのデートなら期待する。
これは自然なことだと思う。
今日こそ距離が縮まるかもしれない。
もっと親しくなれるかもしれない。
次の約束につながるかもしれない。
そんな想像をすること自体は悪くない。
ただし、自分の期待を理由に相手へ何かを求めるのは違う。
相手の反応を見ながら、二人が心地よく過ごせる距離を大切にする。
今なら、そのほうが大事だったと分かる。
まとめ|赤城山で一番大きかったのは期待感だった
彼女と赤城山へ行った日、私は何かが起こるかもしれないと期待していた。
実際には、映画のような大きな出来事は起こらなかった。
それでも、その日は今でも記憶に残っている。
好きな女性と二人で出かける。
いつもとは違う場所へ行く。
そして、
「今日、二人の関係が少し変わるかもしれない」
と思いながら一日を過ごす。
結局何も起こらなかったとしても、その期待感まで含めて一つのデートだった。
今振り返れば、赤城山で起こった一番大きな出来事は、何か特別な事件ではなかったのかもしれない。
好きな人と一緒にいるだけで、普段の景色まで少し特別に見えていた。
そんな自分の気持ちそのものが、あの日の一番強い思い出として残っている。


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