ハッピーメールを長く使っていると、こちらが予想していなかった展開になることがある。
メッセージをして終わる女性もいる。
何度かやり取りしても、実際には会わないこともある。
会ったとしても、一度食事をしてそのまま連絡が途切れる場合もある。
そんな中で、今でも印象に残っている女性がいる。
深谷駅の近くにあるアパートで一人暮らしをしていた女性だった。
何度かやり取りをして距離が縮まっていったころ、彼女から思いがけない言葉をかけられた。
「泊まっていっていいよ」
最初に聞いたときは少し驚いた。
出会い系サイトで知り合ったとはいえ、相手の自宅に泊まるというのは、外で食事をするのとはまったく違う。
今回は、そのときのことをハッピーメールの実録として振り返ってみたい。
- ハッピーメールで知り合った女性だった
- メッセージだけでは分からない
- 深谷という場所も記憶に残っている
- 最初から自宅へ誘われたわけではない
- 「泊まっていいよ」と言われた
- 信用してくれたことがうれしかった
- アパートに入ると相手の日常が見える
- 特別なことをしなくても距離は縮まる
- ネット上の人から「知っている人」に変わる
- 「泊まる=何でも同意」ではない
- 自宅へ行く側にも安全意識は必要
- 相手の家では礼儀も必要になる
- 距離が縮まるとうれしい反面、慎重にもなる
- 「会えた」というだけでは分からないこと
- 深谷駅という名前を聞くと思い出す
- ハッピーメールはあくまで入口だった
- 出会い系でも普通の人間関係だった
- まとめ|「泊まっていいよ」の一言に感じた信頼
ハッピーメールで知り合った女性だった
出会いのきっかけはハッピーメールだった。
最初はもちろん、お互いほとんど何も知らない。
プロフィールを見る。
メッセージを送る。
返信が来る。
そこから少しずつ会話が続いていく。
出会い系では、この最初の段階で終わることもかなり多い。
こちらがメッセージを送っても返信がない。
何往復かして突然止まる。
会う話をすると距離を置かれる。
そういうことも珍しくない。
だから、普通に会話が続くだけでも「相性は悪くないのかな」と感じることがあった。
メッセージだけでは分からない
ただ、メッセージが続いたからといって、実際に会ってうまくいくとは限らない。
文章なら時間をかけて考えられる。
実際に会えば、声や話し方、表情、雰囲気まで全部分かる。
そのため、自分はオンライン上での印象と、実際に会ったときの印象を分けて考えるようになった。
彼女の場合は、実際に会ってからも比較的話しやすかった。
無理に会話を作らなくてもいい。
沈黙があっても、それほど気まずくない。
そういう相手だった。
深谷という場所も記憶に残っている
その女性は、深谷駅の近くに住んでいた。
出会いの記憶というのは、人だけでなく場所とセットで残ることがある。
駅。
道路。
周辺の景色。
待ち合わせをした場所。
何年たっても、その地名を聞いただけで当時のことを思い出す。
自分にとって深谷も、そんな場所の一つになった。
それまでなら単なる駅名だった。
しかし、そこで誰かと会った経験ができると、その街に個人的な記憶が加わる。
最初から自宅へ誘われたわけではない
ここは大事なところだと思う。
出会い系サイトで知り合ったからといって、最初から相手の自宅へ行くことを前提にしていたわけではない。
まず話す。
実際に会う。
相手のことを少しずつ知る。
そして相手もこちらを見る。
その積み重ねがある。
オンラインで知り合った相手でも、現実の人間関係になれば普通の関係と同じだ。
安心できるか。
一緒にいて嫌ではないか。
また会いたいと思えるか。
そうした小さな判断が積み重なって距離が変わっていく。
「泊まっていいよ」と言われた
そして、あるとき彼女から、
「泊まっていいよ」
という話が出た。
これは自分にとってかなり印象的だった。
こちらから強引に頼んだわけではない。
相手のほうから言ってくれた。
だから余計に驚いた。
「本当にいいのかな」
という気持ちもあった。
外で会うのと、相手の生活空間へ入るのとでは意味が違う。
家というのは、その人にとってかなりプライベートな場所だ。
そこへ招いてくれるということは、少なくとも一定の安心感を持ってくれているのだろうと感じた。
信用してくれたことがうれしかった
自分が一番うれしかったのは、「泊まれる」ということそのものではなかったように思う。
自分をある程度信用してくれたことだった。
出会い系で知り合った男女は、最初は完全な他人だ。
相手から見れば、自分が安全な人間なのかも分からない。
こちらも同じだ。
だから距離を縮めるには時間が必要になる。
その女性が自宅へ招いてもいいと思ってくれたことに、関係が一段進んだような感覚があった。
アパートに入ると相手の日常が見える
人の部屋に入ると、その人の生活が少し見える。
家具。
テーブル。
日用品。
部屋の使い方。
外で会っているだけでは分からない部分だ。
もちろん、勝手に物を見るようなことはしない。
相手のプライバシーは尊重する。
それでも、その場所にいるだけで、
「この人は普段ここで生活しているんだな」
と感じる。
ネットのプロフィールから始まった相手が、急に現実の生活を持つ一人の人間として強く感じられる瞬間でもある。
特別なことをしなくても距離は縮まる
男女が同じ部屋にいるというと、すぐに恋愛的・性的な展開を想像する人もいるかもしれない。
しかし、実際の人間関係はそれだけではない。
話をする。
テレビを見る。
飲み物を飲む。
何でもない時間を過ごす。
そういう時間にも意味がある。
むしろ外でデートをしているときより、普段に近い姿が見えることもある。
自分にとって印象に残ったのも、派手な出来事より、
「出会い系で知り合った女性の部屋に普通にいる」
という状況そのものだった。
ネット上の人から「知っている人」に変わる
最初はプロフィール写真と文章しか知らない。
そこからメッセージをする。
会う。
話す。
そして生活している場所まで知る。
こうして考えると、人間関係が少しずつ現実になっていくのが分かる。
最初はスマートフォンの中にいた人だった。
それが目の前にいる人になる。
そして、その人の日常の一部に少しだけ入る。
オンラインの出会いの不思議さは、こういうところにある。
「泊まる=何でも同意」ではない
ここは出会い系を利用するときに、かなり重要だと思う。
相手が自宅へ招いてくれた。
泊まっていいと言ってくれた。
だからといって、ほかのことまですべて同意していることにはならない。
自宅へ行くことへの同意と、身体的な接触への同意は別だ。
親しくなった後でも同じである。
相手が嫌がっていないか。
無理をしていないか。
その都度確認する。
これは男女どちらにも必要なことだと思う。
自宅へ行く側にも安全意識は必要
また、安全面は女性だけの問題でもない。
男性側も、ネットで知り合った相手の家へ行く以上、最低限の注意は必要だ。
知り合ってすぐに個人情報をすべて渡さない。
金銭の話が突然出たら慎重になる。
不自然な要求があれば断る。
違和感があれば帰る。
出会い系では、相手がプロフィール通りの人物とは限らない。
自分の場合に何も問題が起きなかったからといって、誰でも同じとは言えない。
相手の家では礼儀も必要になる
招いてもらった以上、相手の部屋では相手のルールを尊重する。
勝手に物を触らない。
必要以上に部屋を詮索しない。
写真を勝手に撮らない。
住所などを他人へ話さない。
当たり前のことばかりだ。
しかし、オンラインで知り合った相手だからこそ、こういう部分は特に大切だと思う。
信頼を作るのには時間がかかる。
壊れるのは一瞬だ。
距離が縮まるとうれしい反面、慎重にもなる
彼女から誘われたとき、うれしかった。
でも同時に、
「この関係を雑に扱いたくない」
という気持ちもあった。
出会い系では、次々に相手を探そうと思えば探せる。
だから一人一人との関係を軽く考えてしまう危険もある。
しかし画面の向こうにいるのは実際の人間だ。
自分にも感情があるように、相手にも感情がある。
関係が近くなったときほど、そのことを忘れてはいけないと思う。
「会えた」というだけでは分からないこと
出会い系の口コミでは、
「本当に会えるのか」
がよく注目される。
もちろん重要なポイントだ。
しかし長く利用していると、会えたかどうかだけでは足りないと感じる。
会った後どうだったか。
安心して話せたか。
もう一度会いたいと思えたか。
相手からもそう思ってもらえたか。
そこから関係が続いたか。
こういう部分まで含めて「出会い」なのだと思う。
深谷駅という名前を聞くと思い出す
今でも深谷という地名を見ると、その女性のことを少し思い出す。
人間の記憶は面白い。
出来事だけではなく、場所と結びついて残る。
駅名を見ただけで昔の場面が戻ってくる。
「あのころ、あそこへ行ったな」
と思う。
ハッピーメールを使っていなければ、その女性と知り合うこともなかったかもしれない。
そう考えると、ネット上の小さなきっかけが、自分の人生の記憶に一つの場所を追加したことになる。
ハッピーメールはあくまで入口だった
この経験を振り返って思うのは、ハッピーメールがしてくれたのは「知り合うきっかけ」までだったということだ。
プロフィールを見る。
メッセージを送る。
相手から返信が来る。
ここまではサービスの中で起こる。
しかし、そこから先は二人の問題になる。
話が合うか。
信用できるか。
また会いたいか。
距離を縮めたいか。
これはアプリやサイトが決めてくれるものではない。
出会い系でも普通の人間関係だった
出会い系という言葉には、今でも少し特殊なイメージがある。
しかし実際に経験してみると、すべてが特殊だったわけではない。
最初は知らない人。
話す。
少しずつ知る。
信用する。
距離が縮まる。
これは学校や職場、友人の紹介で始まる人間関係とも共通している。
違うのは入口だ。
インターネットから始まったというだけだった。
まとめ|「泊まっていいよ」の一言に感じた信頼
深谷駅近くのアパートに住んでいた女性から、
「泊まっていいよ」
と誘われた。
今振り返っても印象に残っている。
でも、自分にとって重要だったのは「女性の家に泊まれる」という表面的な出来事だけではない。
最初はハッピーメールの画面の中でしか知らなかった二人だった。
メッセージをした。
実際に会った。
話をした。
少しずつ相手を知った。
そして、相手が自分の生活空間へ招いてもいいと思うところまで距離が縮まった。
そこに意味があった。
もちろん、自宅へ招かれたからといって何をしてもいいわけではない。
相手の意思とプライバシーを尊重することは必要だ。
ネットで知り合った相手だからこそ、安全への意識も忘れてはいけない。
それでも、あのとき彼女から言われた一言はうれしかった。
「この人なら家に入れても大丈夫」と、少しでも信用してもらえた。
自分にはそう感じられたからだ。
ハッピーメールは二人が知り合う入口だった。
その先で関係を作ったのは、画面の中の機能ではなく、一緒に過ごした時間だった。
深谷駅という名前を聞くと、ときどき思い出す。
出会い系サイトのプロフィールから始まった相手が、いつの間にか現実の思い出の中にいる。
そんな出会いもあった。


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