ハッピーメールを長く使っていると、強く記憶に残っているのは派手なデートだけではない。
待ち合わせをしたこと。
一緒に電車に乗ったこと。
何かを買ってきてくれたこと。
部屋で何となく話したこと。
そして、二人でゆっくり過ごしたこと。
今回思い出したのも、そんな普通の日だった。
彼女が飯田橋駅のスターバックスでカフェオレのようなミルク入りのコーヒーを買って、そのまま自分のところへ遊びに来てくれた。
その後は二人で話しながら過ごし、キスをしたり、抱き合ったりして、かなり距離の近い時間になった。
今振り返ると、キスそのもの以上に、
「コーヒーを買って、普通に遊びに来てくれた」
という日常感が妙に懐かしい。
そんな一日をハッピーメール記録帖として残しておきたい。
最初はハッピーメールの中にいた女性だった
当然だが、最初からこんな関係だったわけではない。
始まりはハッピーメールだった。
プロフィールを見る。
メッセージを送る。
返信が来る。
またこちらから返す。
出会い系を利用したことがある人なら分かると思うが、この段階では先のことなど何も分からない。
メッセージが今日で終わるかもしれない。
実際に会えるかもしれない。
一度会って終わるかもしれない。
恋人のような関係になる可能性だってある。
入口は同じでも、その後は相手によってまったく違う。
彼女とは、そのやり取りが続いた。
実際に会うようになるとアプリを意識しなくなる
何度か会うようになると、不思議なもので、
「ハッピーメールで知り合った人」
という感覚が少しずつなくなっていく。
普通の知り合いになる。
さらに関係が深まれば、普通の彼女のような存在になっていく。
出会った場所がアプリだったというだけで、実際に会った後の関係は現実のものだ。
話す。
笑う。
食事をする。
連絡する。
会いたくなる。
そういう普通の恋愛と変わらなくなっていく。
彼女についても、いつの間にかそんな感覚になっていた。
飯田橋駅でコーヒーを買ってきてくれた
その日、彼女は飯田橋駅周辺にいた。
そしてスターバックスに寄り、ミルクの入ったコーヒーを買ってから遊びに来てくれた。
これだけなら本当に何でもない話だ。
でも自分には妙に印象に残っている。
誰かが自分のところへ来る途中で、
「コーヒーでも買っていこう」
と思う。
店に寄る。
商品を受け取る。
それを持って電車や街を歩いてくる。
そして自分のところへ来る。
こういう小さな行動に、相手との距離感が表れることがある。
ドアを開けたときの普通さ
彼女が来た。
手には買ってきた飲み物がある。
「買ってきたよ」
そんな雰囲気だったと思う。
特別な記念日ではない。
誕生日でもない。
高級レストランへ行く日でもない。
ただ遊びに来た。
それだけだ。
でも恋愛というのは、こういう日が一番リアルなのかもしれない。
毎回特別な場所へ行くわけではない。
毎回プレゼントを交換するわけでもない。
普通に会って、
「何してた?」
みたいな話をする。
それだけで楽しい時期がある。
二人でコーヒーを飲みながら話す
部屋では、買ってきたコーヒーを飲みながら話した。
何を話していたのか、細かな内容まではもう覚えていない。
仕事のことだったかもしれない。
その日の出来事だったかもしれない。
どうでもいい話をしていたのかもしれない。
人間の記憶は面白い。
会話の内容は忘れているのに、
彼女がコーヒーを持って遊びに来たことは覚えている。
重要な話をした日より、こういう小さな光景が残ることがある。
自然に距離が近くなった
しばらく一緒に過ごしていると、自然に距離が近くなった。
隣に座る。
顔を見る。
少し触れる。
そしてキスをした。
すでにお互いに好意があり、親しい関係だったので、何か大げさな展開があったわけではない。
そのまま抱き合ったり、キスをしたりしながら二人でゆっくり過ごした。
自分にとって印象的なのは、そこに「イベント感」がほとんどなかったことだ。
彼女が遊びに来る。
コーヒーを飲む。
話す。
キスをする。
全部が一つの日常としてつながっていた。
キスより「来てくれたこと」がうれしかった
もちろん好きな女性とのキスはうれしい。
でも今になって振り返ると、それ以上に、
わざわざ自分のところへ遊びに来てくれたこと
が大きかった気がする。
人に会うには時間を使う。
移動する。
予定を空ける。
自分のところまで来る。
当時は当たり前に感じていたかもしれない。
でも、誰かが自分のために時間を使ってくれることは本当は当たり前ではない。
出会い系では「会った後」のほうが長い
ハッピーメールについての記事では、
「本当に会えるのか」
が注目されやすい。
確かに重要だ。
どれだけメッセージをしても、一度も会えなければ関係は進みにくい。
ただ、自分の経験からすると、本当に面白いのは会えた後だった。
初対面。
二回目。
三回目。
その後も会う。
相手の性格が分かってくる。
そして特別なデートではなく、
「ちょっと遊びに行く」
という関係になる。
ここまで来ると、最初の「出会い系で会えるか」という段階とはまったく違う。
自宅で会うことと同意は別の話
一つ大切なのは、相手が自宅へ遊びに来たことだけで、親密な行為すべてに同意したことにはならないという点だ。
家に来た。
付き合っている。
以前キスした。
だから今回も当然。
そう決めつけるものではない。
そのときのお互いの気持ちを尊重する。
嫌そうなら進めない。
途中で気持ちが変わったら止める。
二人とも安心できる距離で過ごす。
結果として楽しい思い出になるためにも、これは大事だと思う。
高級なデートだけが恋愛ではない
恋愛というと、夜景の見えるレストランや旅行などを想像することもある。
もちろん、そういうデートも楽しい。
でも現実の恋愛はもっと普通だ。
コンビニへ行く。
スーパーへ行く。
コーヒーを買う。
部屋で話す。
一緒にテレビを見る。
眠くなる。
そういう時間のほうが圧倒的に多い。
彼女が飯田橋駅でコーヒーを買って遊びに来てくれた日も、まさにそんな普通の日だった。
普通だったからこそ覚えている
もしその日に大事件が起きていたら、別の意味で覚えていただろう。
でも何も起きていない。
彼女が来た。
一緒に過ごした。
キスをした。
それだけだ。
それなのに記憶に残っている。
もしかすると人間は、幸せだった瞬間をその場ではそれほど特別だと思わないのかもしれない。
後になってから、
「あの時間、結構よかったな」
と気づく。
アプリは入口にすぎなかった
彼女との関係を振り返ると、ハッピーメールは重要だった。
そこがなければ知り合わなかった可能性があるからだ。
しかし、関係ができてからはアプリの存在をほとんど意識しなくなった。
彼女が遊びに来ているときに、
「ハッピーメールで知り合った女性だ」
などとは考えない。
ただ彼女がいる。
普通に話している。
それだけになる。
出会い系サービスは人と人をつなぐ入口にはなれる。
でも、その後の関係を作るのは結局二人なのだと思う。
店の名前まで覚えている不思議
今回の記憶で面白いのは、「飯田橋駅」「スターバックス」「コーヒー」という細かな部分まで残っていることだ。
もっと重要だったはずの会話は忘れている。
それなのに、こういう小さな情報だけ覚えている。
記憶というのは合理的ではない。
写真のように全部保存されるわけでもない。
何気ない一場面だけが残る。
だからこうして文章にしておく意味もあるのかもしれない。
ハッピーメール記録帖として残す理由
この記録帖では、大成功した話だけを書きたいわけではない。
失敗した日もある。
会えなかったこともある。
返信が来なかったこともある。
逆に楽しかった日もある。
誰かが遊びに来てくれた日もある。
恋愛や出会い系のリアルは、その全部だと思う。
今回の話も大事件ではない。
それでも、自分が実際に経験した一日だ。
だから残しておきたい。
まとめ|コーヒーを持って遊びに来た普通の一日
彼女が飯田橋駅のスターバックスでコーヒーを買い、そのまま自分のところへ遊びに来てくれた。
二人で話した。
コーヒーを飲んだ。
自然に距離が近くなった。
キスをした。
抱き合って、ゆっくりした時間を過ごした。
文字にすれば、それだけの出来事だ。
でも何年か経って思い出すと、こういう普通の日が意外に懐かしい。
最初はハッピーメールのプロフィールの向こう側にいた女性だった。
それが現実に会うようになった。
そして、
「コーヒー買ったから、これから遊びに行く」
くらいの距離まで近くなった。
恋愛で記憶に残るものは、豪華なデートだけではない。
好きな人が自分に会うためにやって来る。
飲み物を片手にドアの向こうにいる。
一緒に何でもない時間を過ごす。
今振り返ると、その「何でもなさ」こそが、当時の二人の距離を一番よく表していたのかもしれない。
これも自分にとって、ハッピーメールから始まった関係の忘れたくない一ページになっている。


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