出会い系サイトを長く使っていると、いろいろな場所で女性と待ち合わせることになる。
駅前。
コンビニ。
ファミレス。
ショッピングモール。
その中でも、なぜか今でも強く記憶に残っている待ち合わせ場所がある。
ブックオフの立体駐車場だ。
普通に考えれば、ロマンチックな場所ではない。
夜景の見えるレストランでもないし、おしゃれなカフェでもない。
車が出入りする、ごく普通の立体駐車場だった。
それなのに、そこで待ち合わせた女性のことを思い出すと、ときどき考えてしまう。
「あの女性は、自分にとって運命の女だったのではないか」
もちろん、運命だったと証明する方法などない。
今回はハッピーメールを利用してきた自分の記録として、なぜそんなことを考えるようになったのかを書いてみたい。
出会いの始まりは特別ではなかった
最初から、
「この人は特別な女性だ」
と思っていたわけではない。
出会い系では、プロフィールを見て、メッセージを送り、何度かやり取りする。
そして話が合えば、
「じゃあ会ってみますか」
となる。
彼女との始まりも、その延長線上だった。
今振り返れば、それが面白い。
人生で記憶に残る出来事は、必ずしもドラマのように始まるわけではない。
何でもないメッセージ。
何でもない約束。
何でもない待ち合わせ。
その先に、何年たっても思い出す人がいることがある。
待ち合わせ場所はブックオフの立体駐車場
待ち合わせ場所として決まったのが、ブックオフの立体駐車場だった。
文字にすると、ますます不思議な場所だと思う。
恋愛映画なら、まず選ばれないだろう。
しかし現実の出会いはそんなものだ。
車で移動するなら駐車場は便利だし、お互いに分かりやすい場所を選ぶこともある。
当時の自分にとっては、単なる集合場所だった。
ところが今になると、その風景まで含めて記憶に残っている。
立体駐車場。
車。
少し緊張しながら相手を待っている自分。
そして、そこへ現れた女性。
人間の記憶は不思議だ。
本当にどうでもいい出来事なら、待ち合わせ場所まで何年も覚えていないのではないか。
初対面はいつだって少し緊張する
出会い系で何人と会ったとしても、初対面の瞬間には独特の緊張感がある。
写真と同じ人だろうか。
話は続くだろうか。
相手は自分をどう思うだろうか。
こちらも相手をどう感じるだろうか。
メッセージでは普通に話せても、実際に会うと印象が違うこともある。
反対に、メッセージ以上に話しやすいこともある。
画面の中にいた人が、突然現実の人になる。
自分はこの瞬間が、出会い系の一番不思議なところだと思っている。
彼女と会ったときもそうだった。
「運命の女」は後から作られるのかもしれない
では、なぜ今になって彼女を「運命の女だったのではないか」と考えるのか。
ここで少し冷静に考えてみたい。
人は出会った瞬間に運命を理解できるのだろうか。
おそらく、そんなことはほとんどない。
むしろ時間が経過してから、
「あの出会いは大きかった」
「あの人は特別だった」
と意味づけするのではないだろうか。
つまり、
運命の人だから記憶に残るのではなく、記憶から消えなかった人を運命の人と呼びたくなる。
そんな可能性もある。
出会い系では多くの人が通り過ぎていく
出会い系を利用していると、たくさんのプロフィールを見る。
メッセージだけで終わる人もいる。
一度会って終わる人もいる。
何度か会う人もいる。
しばらく連絡を取って、その後自然に離れていく人もいる。
時間が経てば、多くの記憶は薄くなる。
「どこで会ったんだっけ?」
「何を話したんだっけ?」
となることもある。
それが普通なのだと思う。
だからこそ、何年たっても具体的な場所まで思い出せる人は、自分の中で何かが違ったのだろう。
場所と人がセットで記憶されている
彼女を思い出すと、ブックオフの立体駐車場も一緒に出てくる。
逆もある。
似たような立体駐車場を見ると、その女性のことを思い出す。
記憶の中で「人」と「場所」が結びついている。
これは恋愛に限ったことではない。
昔よく聴いていた曲を耳にすると、その時代を思い出す。
昔住んでいた街を歩くと、当時の出来事を思い出す。
匂いだけで昔の記憶が戻ることもある。
自分にとって、立体駐車場という場所が彼女の記憶のスイッチになっているのかもしれない。
もし別の選択をしていたら
運命について考えると、必ず「もし」が出てくる。
もし、あの日ログインしていなかったら。
もし、メッセージを送っていなかったら。
もし、相手から返信がなかったら。
もし、会う約束をしなかったら。
もし、待ち合わせ場所が別の場所だったら。
そもそも出会っていない。
出会いというのは、かなり不安定な条件の上に成立している。
一つ違えば、二人は永遠に他人のままだった可能性もある。
そう考えると、人と人が実際に会うところまで進むこと自体、かなり珍しい出来事なのではないかと思う。
「運命」と「相性」は別だと思う
ここは分けて考えたい。
運命の人だったと思うことと、その人と必ず幸せな関係になれることは同じではない。
強烈に記憶に残る人でも、相性がいいとは限らない。
好きでもタイミングが合わないことがある。
お互いに悪い人ではなくても、生活環境が違うこともある。
だから、
「運命の人なら必ず結ばれる」
という考え方には、自分は少し違和感がある。
むしろ人生に大きな印象を残した人も、広い意味では運命の人なのかもしれない。
うまくいかなかったから残る記憶もある
人間は、きれいに完結した出来事より、途中で終わった出来事のほうを長く考えることがある。
「あのとき、こうしていたら」
「もう少し話していたら」
「別の選択をしていたら」
答えが出ない。
だから頭の中に残る。
恋愛でも同じなのかもしれない。
結婚して毎日一緒に暮らしていれば、「運命だったのだろうか」と考える必要はなくなる。
現実が答えになるからだ。
しかし離れてしまった人については答えがない。
だから何年後でも考える余地が残る。
美化している可能性も当然ある
ここも忘れたくない。
過去の記憶は、そのまま保存されているわけではない。
時間とともに変化する。
嫌だったことを忘れて、よかった部分だけを覚えている可能性もある。
今の自分が過去の出来事に意味を与えているだけかもしれない。
だから、
「彼女こそ絶対に運命の女だった」
と断定するつもりはない。
これはあくまで一考察だ。
でも、断定できないからこそ考えてしまう。
ハッピーメールがなければ出会っていない
一つだけ確かなことがある。
その出会いには、出会い系という入口があった。
普段の生活だけなら、接点がなかった可能性が高い。
同じ街にいたとしても、知らない人同士だった。
すれ違ったとしても話さない。
それがプロフィールとメッセージを通じてつながり、実際に会うところまで進んだ。
出会い系というと、効率や攻略法の話になりやすい。
何通送れば会えるのか。
どんなプロフィールなら返信が来るのか。
どんな写真がいいのか。
もちろん、それも大事だ。
しかし長く使った後に残るのは、数字ではなく人の記憶だったりする。
結局、運命の女だったのか
今でも答えは分からない。
ただ、自分の人生の中で、
ブックオフの立体駐車場で待ち合わせた女性
という記憶が消えずに残っている。
これは事実だ。
もっと華やかな場所で会った人がいたかもしれない。
もっと長く話した人もいたかもしれない。
それでも、なぜか彼女を思い出す。
それなら自分の人生において、何らかの意味を持った女性だったとは言えるのではないか。
運命の人とは、必ず結婚した人のことではない。
必ず最後まで一緒にいる人でもない。
何年たっても、
「あの人と出会ったのは何だったのだろう」
と考えさせる人。
そんな人もまた、「運命の人」と呼べるのかもしれない。
まとめ|何でもない駐車場が特別な場所になった
ブックオフの立体駐車場。
普通なら、それだけの場所だ。
買い物に来た人が車を止め、用事が終われば帰っていく。
でも自分にとっては、そこに一つの記憶がある。
一人の女性を待っていた。
そして実際に会った。
その瞬間には分からなかったが、何年たっても記憶から消えなかった。
彼女が本当に「運命の女」だったのか。
今でも分からない。
もしかすると、これから先も答えは出ないのかもしれない。
それでも、ときどき考える。
人生を変える出会いは、特別な場所で始まるとは限らない。
駅前でも、ファミレスでも、駐車場でもいい。
そのときは何でもない一日だったのに、後から振り返ると人生の重要な一場面になっている。
自分にとって、その一つがブックオフの立体駐車場だった。
だから今でも思う。
あそこで待ち合わせた女性は、もしかすると自分にとって「運命の女」だったのではないか、と。


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