プロフィールにDカップと記載の女性は、多分「ゆきこ」だったかもしれない

実録ログ

昔の出会い系サイトでの出来事を思い出していると、不思議なことがある。

はっきり覚えている部分と、どうしても曖昧な部分が混ざっているのだ。

今回思い出したのは、ハッピーメールで見かけた女性のプロフィールについて。

その女性のプロフィールには、たしかDカップと書かれていた。

そして最近になって、

「あの女性は、多分、ゆきこだったんじゃないか?」

と思うようになった。

ただし、ここは重要だ。

「ゆきこだった」と断言できるほど、記憶は鮮明ではない。

だから今回の記事では、昔の記憶を無理に確定させず、

「多分そうだったかもしれない」

という状態そのものを記録しておこうと思う。

昔のプロフィールは意外な部分だけ覚えている

出会い系サイトを長く使っていると、たくさんのプロフィールを見る。

年齢。

住んでいる地域。

趣味。

仕事。

自己紹介。

写真。

いろいろな情報が並んでいる。

ところが何年も経ってから思い出そうとすると、その全部を覚えているわけではない。

むしろ断片的だ。

今回の場合なら、

プロフィールにDカップと書かれていた。

この部分が記憶に残っている。

一方で、その女性の自己紹介文がどんな内容だったのか、細かいところまでは覚えていない。

プロフィール写真についても、今となっては記憶が曖昧だ。

人間の記憶というのは面白い。

重要そうな情報が残るとは限らない。

そのとき自分が気になった部分だけが、何年も残ることがある。

そして「ゆきこ」という名前がつながった

さらに記憶をたどっていると、「ゆきこ」という名前が浮かんできた。

以前から自分の中で印象に残っている名前でもある。

そこで、

「Dカップとプロフィールに書いていた女性は、ゆきこだったのでは?」

と思った。

ただ、昔のことなので自信はない。

別の女性のプロフィールと記憶が混ざっている可能性もある。

ここで無理に、

「間違いなくゆきこだった」

と書いてしまうと、体験記ではなく、自分で作った話になってしまう。

だから、あえてタイトルにも**「多分」「だったかもしれない」**という曖昧さを残した。

これは逃げではなく、昔の体験を書くうえでは大切なことだと思っている。

昔の出会い系体験を書くと記憶が少しずつ戻ってくる

最近、昔の出会い系サイトでの体験を文章にしていると、忘れていた出来事を少しずつ思い出すことがある。

最初は、

「女性と会った」

くらいしか覚えていなかった。

そこから文章を書いているうちに、

「そういえば、あの場所で待ち合わせた」

「こんな話をした気がする」

「プロフィールにはこんなことが書いてあった」

と、記憶の断片が出てくる。

今回のDカップという記載と「ゆきこ」という名前も、その一つだ。

ただし、思い出したからといって、それが100%正確とは限らない。

人間の記憶は録画ではないからだ。

時間がたてば、複数の出来事が混ざることもある。

だから私は、

確実に覚えていることと、推測していることを分けて書きたい。

昔の出会い系体験を記録するなら、この姿勢はかなり重要だと思う。

なぜプロフィールのDカップ表記を覚えていたのか

当時の自分にとって、その記載がかなり目立ったのだと思う。

男性が女性のプロフィールを見るとき、容姿や体型に関する情報に目が行くことはある。

私も例外ではなかった。

ただ、今振り返ってみると面白い。

プロフィールに書かれていた体型情報は覚えているのに、もっと重要だったはずの会話内容を忘れている。

これは、その女性を身体的な特徴だけで評価したいという話ではない。

むしろ逆だ。

記憶に残る情報と、その人自身を知るために重要な情報は必ずしも同じではない。

ということだ。

プロフィールの一項目だけでは、その女性がどんな人なのかは分からない。

実際に話してみなければ、性格も相性も分からない。

プロフィール情報は「入口」にすぎない

出会い系サイトでは、どうしてもプロフィールから相手を判断することになる。

写真がある。

年齢がある。

地域がある。

趣味がある。

そして場合によっては体型についての記載もある。

利用する側からすると、それらを見ながら、

「この人と話してみたい」

と思うわけだ。

だからプロフィール情報が無意味ということではない。

最初のきっかけとしては大きい。

しかし、それはあくまで入口だ。

プロフィールを読んで想像した人物像と、実際にメッセージを交換したときの印象が違うこともある。

さらに実際に会えば、また印象が変わる。

これは出会い系サイトでは何度も経験してきた。

名前の記憶は特に混ざりやすい

昔の出会い系サイトを振り返るとき、難しいのが名前だ。

本名なのかニックネームなのかも分からない場合がある。

同じ名前の女性が複数いることだってある。

さらに何年も経過すれば、

「この人が○○だった」

という記憶そのものが入れ替わる可能性もある。

だから今回の「ゆきこ」についても慎重に考えたい。

今の自分の感覚としては、

「多分、ゆきこだった気がする」

というところまでだ。

それ以上は断言しない。

逆に、この曖昧さも記録として残しておけばいいと思う。

昔にブログを書いていたら答えは残っていた

こういうときに毎回思う。

当時からブログを書いていたらどうだっただろう。

会った日。

使ったサイト。

プロフィールを見たときの印象。

メッセージで話した内容。

待ち合わせ場所。

会ったあとの感想。

個人を特定できる情報を避けながら、こうしたことを簡単に記録しておけば、今になって記憶を探す必要はなかったかもしれない。

「ゆきこだったかな?」

ではなく、

「当時のメモを見ると、こう書いてある」

と言えた。

今さら昔には戻れない。

だからこそ、今から残していく意味がある。

記憶が曖昧なこと自体が一つの記録になる

ブログを書くとなると、何でも正確に思い出さなければいけないような気がする。

でも私は、そうでもないと思っている。

覚えていないなら、「覚えていない」と書けばいい。

多分なら「多分」と書く。

もしかしたらなら「もしかしたら」と書く。

それでいい。

むしろ何十年も前の体験を細部まで完璧に覚えているように書くほうが、不自然な場合もある。

今回も同じだ。

プロフィールにDカップと書かれていた女性がいたことは記憶にある。

その女性が「ゆきこ」だったような気がする。

しかし、確定まではできない。

ならば、その状態をそのまま残しておく。

それが私の「ハッピーメール記録帖」らしい書き方だと思う。

今になって名前とプロフィールがつながる不思議

記憶というのは、突然つながる。

ずっと別々だった二つの記憶が、

「あれ?」

という瞬間に一つになることがある。

今回なら、

「Dカップと書いていた女性」

という記憶と、

「ゆきこ」

という名前だ。

本当に同じ人物だったのか。

今のところ確証はない。

それでも、昔の出来事を振り返っているからこそ出てきた記憶であることは確かだ。

そして、今後さらに昔のことを書いていけば、別の記憶が出てくるかもしれない。

「あのとき、こんなメッセージをもらった」

「あそこで会ったのは、この人だった」

そんなふうに少しずつつながっていく可能性もある。

まとめ

ハッピーメールで、プロフィールにDカップと記載していた女性がいた。

そして私の記憶では、その女性は多分「ゆきこ」だったのかもしれない。

ただ、昔の出来事なので断言はしない。

別の女性との記憶が混ざっている可能性もある。

それでも、この曖昧な記憶を無理にきれいな物語にする必要はないと思う。

覚えていること。

忘れていること。

最近になって思い出したこと。

確信が持てないこと。

その全部を含めて記録していけばいい。

出会い系サイトでの昔の出来事を振り返ると、当時は何でもなかったプロフィールの一文が、何年も経ってから突然よみがえることがある。

「あの女性、多分ゆきこだったんじゃないかな」

今のところ、それが私の記憶の一番正確な表現だ。

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